靑瓷を愛する愛陶家の皆様が望まれるのは12世紀高麗靑瓷全盛期の翡色と呼ばれた釉薬の色調と気品高く麗な線の器型に高度の象嵌技法による写実的文樣で造られた作品でありませう.
八百年の長い断絶,翡色靑瓷に誘われ40を越えた年で陶芸の道に踏み入れました.私の号である赫山(ヒョクサン)1964年私が陶芸に関わる前,ソウルで作名では名があった先生が作名したんですが,寄なもので私の将来を予見したんじゃないかと思います.

東国窯の窯場は利川市内からは4km離れている新屯面水下里という場所にあります.ここは水の下の村という意味でもあるし,土の下に水の多い村という意味でもあっていくら豪雨が降っても被害のない村でございます. 生命水の水は火と共に火の芸術である陶磁器を誕生させると言えます. 東国の名は昔国名に一時呼称したことから東国窯としました.

1971年当時の道路はゴム長靴でないと歩けない赤粘土道でしたが靑瓷に賭けた意気込みは最高の作品に目標をして伝統陶磁に関する文獻,書籍を耽讀しながら高麗靑瓷の発祥地である全南康津郡大口面一帶の古窯跡を探査し始めました.高麗靑瓷の性分と同じい

土と象嵌 用の土,釉薬用の資料陶片による象嵌技法,釉薬の性分, 焼成, 溫度等を徹底的に調査する順理に従いました.  釉薬の性分,焼成,溫度等を徹底的に調査する順理に従いました.幸い私のこのような手順を見守り励ましてくださった方が当時国立中央博物館長の故崔淳雨先生でした.
尚最初から私を支援水下里に窯を築かせた崔順燮兄,永遠の知己加藤正猪の大なるご支援とご指導,三星グループの故李秉喆会長のご配慮のお陰と赫山靑瓷の愛好会会長の中山瑛一先生ご夫婦樣を初め馬場直人会長以外にもご支援ご指導を賜りました多くの皆様方にこの紙面を借りまして深く感謝の意を表します.

最も記憶に残りますのは1975年康津郡大口面に豪雨の直後に行った時でした.里貯水地の水がオーバし水の流れに 地面が流されたところに粘土が出しているのを発見した時の感動は口では言い尽くせない思い出でした.黒象嵌に使われた粘土(鉄分)も発見,確保するに至り材質が一変し焼き上げた靑瓷がすっかり変わり國立中央博物館崔淳雨館長から東京銀座の黒田苑に紹介するから東京での展示会を励められもしました.
 

粘土は量的に少なく,少し離れても性分が異なりましたが,その后耕地整理場からも採取しましたが,1976年代に大口面一帶が文化財史跡地に指定され誰も土に手がつけられないようになりました.
長い歲月の期間に悔恨と光榮を味わいながらも加藤様よりの瀬戸のオオエブンゾウさんの希ふのみ期待するなかれの文章は今も胸に止め忘れません.
早や80になり陶芸人中最高齡者に呼ばれ恥じ入っております.
これからも翡色靑瓷を追って余生を努めます.それのみが皆様の恩惠に多少なりと 報いることだと思います.今後共よろしくご指導とお叱りをますようお願い申し上げます.